閣下から呼び出し。一体なんの御用であるのか。中庭にある桜の前まで行けば閣下は物寂しげに満開に咲いた桜を見上げていた。
「ようやく来たね、ミサキ」
拙者(私)は跪き、頭を下げる。
「はっ、閣下……どのようなご用件で」
閣下は拙者の前へと近づき、何か紙を差し出した。
「君の今後にはとても期待しているんだ。あの子を……どうか宜しく頼むよ」
頭を上げ、紙面に書かれた辞令を読む。それを──快く受け取った。
まさか拙者が副官とは。
段ボールに詰めた私物を抱え、水の部署へ配属が決まったあの日以来入っていない【あの部屋】へと入る。部屋は来賓を迎え入れても問題がないような装飾に、「水の柱」と呼ばれる者の席と今日から拙者が座る席があった。
水の柱が一体誰なのかはここの部署の皆は知らない。
法に準じて統治するために拙者たちがいるけれども、水の部署の人は日中は衣類で素顔を隠すことが多い。隠す方が都合がいいからだ。
水の柱からの指令は全て書物によって伝えられる。それを参事官が読み上げる。普段、現場に顔を出さないような気がするが、指令の内容があまりにも現場のことをよく把握できているように見えるし、それが最善の解決策と感じていた。
副官になれたということは、つまり──
荷物をある程度片付いたところで、背後から殺意を感じ取り反射的に振り返った。そこには金髪で、茶色の目をした少年がいた。
「だ、誰?」
口から出てきた拙者の声が少し震えていた。それだけ体は恐怖を覚えた。
その少年の目はとても冷めていた。
「……レイン」
それだけ言い、少年は柱の席へ向かい、音もなく座る。几帳面に積み上げられた書類を手にしてテキパキと処理を進め始めた。
まさか、この子が【水の柱】? まだ学生くらいの年齢……よね?
南の窓から差し込む朝の日差しで少年の素顔が映る。とても綺麗な顔立ちながら機械のような冷たさを放っていた。
少年は口を開く。
「ミサキ、今日から僕の記す指令を皆に周知いただきたい」
「拙者が……ですか?」
「前の参事官は訳あって休暇を与えた、また、今後の僕の活動を考慮し副官が必要となった」
「は、はぁ……」
その日から水の柱──レインとの仕事関連での良い付き合いが始まった。
ただの文士として活動を進めていた時よりも何かと充実していたと思う。仕事の幅もかなり広がり、一年以上経過した頃には言葉を交わさなくとも柱の意図を汲み取ることもできるようになった。【副官】としての実績も良いのか給与にしっかりと反映された。生活レベルも上がっていく。あのクソ夫と暮らしていたよりも充実している。
本当に、本当に、よかった。
あの日が来るまでは。
柱は長期の任務に就くことになった。任務の詳細は教えてくれず、拙者はその日の朝に柱を見送っただけだった。
柱はその日、戻ってこなかった。翌日も、その次の日も、気がつけば一ヶ月経過した。柱の机の上の書類はどんどん山積みになっていく。
「ミサキ、いるよね?」
執務室に入る閣下。あの桜の日よりも悲しそうな表情を浮かべている。
「柱は戻ってこないと思う。申し訳ないが、水の柱の書類を【柱の代行】として処理と、部署の指示をミサキにお願いしたい」
その言葉を受け入れつつ、拙者は尋ねる。
「柱は……一体どこへ」
閣下はため息をつきながら答える。
「生きている。でもいつ戻れるかはわからない」
それだけを伝え、閣下は部屋を後にした。
何故か目元から一筋の涙が流れた。安堵感なのか、それともいつまた再会できるのかわからない不安なのか。知らぬ間にそれだけ【水の柱──レイン】への存在が大きくなっていた。
これは恋愛感情とかでは無い。庇護欲に近い感情。
政府に戻れない間に、彼が少しでも【人らしく】なってほしい。そう願いながら……。
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